9月28日 30日 城趾と井戸を巡る歴史を感じる散歩。
9月28日
先週、娘一家と
お墓参りしましたが。
命日の日
お墓参りに行きました。
穏やかな日でした。
好きだったコーラと大福。
夜は好物だったハンバーグ。
赤ワインソースと
ケチャップソース
9月30日
先日、雑誌で
[ひとり暮らしの高齢者は
自然の景色を見ながら
ゆっくりと散歩すると良い]
このような記事を読みました。
なるほどと思って
本日は
自然の中を
散歩することにしました。
近くの町です。
ここには、
戦国時代にお城がありました。
今は跡形もありませんが。
歴史的資料があり、
城趾が発掘されて
国の史跡に指定されました。
矢印に沿って
ぐんぐん歩いてみます。
自然いっぱい過ぎる
山道を歩きました。
ここが城趾らしいです。
小高い山が
城山らしいです。
案内所があります。
中には、たくさんの資料が
貼ってありました。
以下、案内所の資料によります。
ここには
戦国時代に下総国を治めた
千葉氏の城がありました。
印旛沼の南岸で
東西南北に走る街道があり
水上、陸上交通便利な土地です。
文明(1469〜1487)に築かれた
本佐倉城と城下町は
100年間
下総国の首都として
政治、経済、文明の中心でした。
天正18年(1590)
千葉氏滅亡して、
この後、
本佐倉城は400年間
の長い眠りにつきます。
しかし、この土地は
奇跡的に
現在まで
戦国時代の城の痕跡が
残されていて
平成10年(1998)に
国の史跡に指定されました✨
城主は
桓武天皇の子孫
1126年
千葉の郷に移り
千葉氏を名乗る。
1490年頃
千葉の郷から
佐倉へ移り
本佐倉城を築城。
本佐倉城主3代目の
勝胤カツタネのころ、
戦国期千葉氏の歴史において
最盛期でした。
この勝胤カツタネあやかって
この地域の
マスコットキャラクターは
[勝つタネ!くん]
文武両道と勝利の神様
千葉8代目邦胤は
北条氏政の娘を
妻に迎えました。
その関係で。
小田原合戦では
北条氏と共に
小田原城にこもりましたが。
豊臣秀吉に滅ぼされました。
この本佐倉城も明け渡されました。
その後
徳川家康は
息子ふたりを含む
家臣たちに
ここ佐倉の地を治めさせました。
しかし、この時
城の場所を変えました。
元和3年(1617)
佐倉城を佐倉市に
新たに城を構えました。
この新たな城趾は
今は
[国立歴史民俗博物館]
となってます。
この本佐倉城は
この時から
400年の眠りにつきます。
さてさて、
また
自然いっぱいの道を歩いて
もう一箇所
名所へ寄ってみました。
伝説の酒の井戸です。
この地域に伝わる
親孝行の息子の話し。
親孝行の息子が毎日、
畑仕事の帰りにお酒を買って
年老いた父親に飲ませて
喜ばせていました。
ある日、酒を買うお金が無くて
困っていたところ
井戸の中から
お酒の匂いがしてきました。
汲み上げるとお酒でした。
息子は喜んで
毎日、この井戸の水を汲んで
父親を喜ばせました。
噂を聞いて、
他の人がこの井戸の水を汲んでも
ただの水でした。
この井戸が伝説の井戸
11000歩の散歩でした。
遅いお昼ご飯はマックナゲット。
(瀬戸内レモンソース美味しかった)
食べながら思いました。
医者は
「タバコと
酒は毎晩はやめてください。」
と、よく言いますが。
年老いた父親は
毎日、お酒飲んで
大丈夫だったんでしょうか。。。。。
でも
酒は百薬の長とも言いますね。
ここは素直に
孝行息子の美談と思うことにします。