美味しく楽しく暮らす記録

まろかんの妻です。退職後の夫婦の時間の記録日記です。

12月9日 古代に 北の大地が育んだ オホーツク文化がありました。オホーツク文化とは。。。。。。。。

いいお天気です。



 

朝ご飯はマフィン

と、バナナです。


お昼は

簡単にいなり寿司を

持って行きます。


国立歴史民俗博物館。


1時から

[オホーツク文化とは何か]


東大で長年の間

研究されてきた

オホーツク独自の文化について

講演会があります。


歴博の講演会は

ネットで予約しました。



まだ、時間があるので

中庭でお昼にします。

持ってきた

いなり寿司。


講演会の前に

館内へ入り


オホーツク文化の

特別展示を

見に行きます。




オホーツク地方の

遺跡から出土した品々が

たくさん展示されてきました。


オホーツク文化とは

どんなことなのでしょう。


講演会が始まります。

会場は満席です。




北海道では

縄文時代から

アイヌ文化へ至る間には

別の文化が

あった事がわかりました。


その文化は北の方から

アムール川、サハリン

オホーツク海岸、

千島列島へ伝わり、

独自の文化が発展しました。


これがオホーツク文化

と言われています。



    


このオホーツク文化の

発見と研究の

始まりは

地元の人の熱心な

申し出によるものでした。



    


常呂町(現在の北見市常呂町)

に住んでいた大西信武さんは

土木工事の仕事をしている中で

貝塚や竪穴群を

いくつも見つけました。

そして、

この調査の必要性を

色々な市役所に訴えましたが。

どこも門前払いでした。


そこへ

アイヌ語研究で来ていた

東大の服部教授にも

訴えて、

現地へ連れて行きますと、

その重要性が伝わり。


すぐに

東大の考古学者の

駒井和愛教授を

呼んでくれました。


駒井教授もこの遺跡の

重要性がわかり。


1957年から

常呂町の発掘調査が

始まりました。


この調査は

地元の人達の支援で

常呂町研究所、資料陳列館等が

建設されて

研究が進んできました。



  


オホーツク海岸は、

本州と違った歴史です。

弥生時代がありません。


稲作ではなくて

海の漁で暮らしていたからです。



    


釣り針、モリが出土してます。



土器も本州の弥生土器とは

全く違います。

土器の飾りが 

アザラシです。


このように

縄文時代からアイヌ文化の

間には

本州とは全く違った

文化があったことがわかります。


このオホーツク文化の

人達は

日本人とは

異なった顔だったようです。


竪穴住居の発掘調査で

掘り出された

頭蓋骨が本州の人とは 

違うそうです。


アムール川下流やサハリンから

来た人種でしょうか。。。。。


この人たちが暮した

竪穴住居跡は

オホーツク海岸一帯に

たくさんありました。


驚く事に

家の中に

熊の骨塚があるそうです。

熊の骨が7頭から

多いところは111頭分も

埋まっていた

住居もありました。



その熊の骨塚には

熊の小さな像も

埋まっていたそうです。


この習慣、儀式は

後の

アイヌ文化に

通じるようです。


発掘調査が進むに連れて

驚く物も

発掘されました。



本州で使われている貨幣。

正倉院にも同じものがある刀。

古代国家(飛鳥)の役人の飾り金具。

などです。


飛鳥時代の国家は

オホーツク文化と

関わっていたことが

わかってきました。


内容が

盛りだくさんの

2時間の講演会でした。


オホーツク文化は

まだまだ研究途中です。


これからも

驚くような物も

発掘されるかもしれませんね。



夜ご飯は

主人用に

鍋焼きうどん


私は

釜揚げうどん

を作りました。








海老、さつまいも

かぼちゃを揚げました。

春菊の香りが良かったです。


食後は

白あんぱんとデニッシュドーナツ




娘からのLINE画像

今日は孫達の

晴れ舞台だったそうです。


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